うちのTRIBEの存続危機

楽しい年末だよ〜というスタンスをとってきました。東京に行ったよ〜M-1だよ〜誕生日があったよ〜ライブも行ったよ〜クリスマスもあったよ〜といつものように呑気な調子でTwitterに書いたりブログを更新したりしていましたが、その裏で母が12月のほぼ半分ずっと入院していました。
見つかる頃にはもうやばいことでお馴染みのある臓器に腫瘍が見つかりました。

まあ結果から言うと、癌ではないとの診断が出たので、今これを書いています。ずっと癌なはずないと信じていて、ちゃんと結果が出た暁にはいやまじ肝を冷やしたぜ〜なブログを書くと決めていたので。

誕生日があってそのまま仕事行っては飲んでを何日か続けて家に帰らなかった間に入院の知らせがあり、「腫瘍だってー癌かもね…まあでもそんな心配するんでない」と母が電話で言うもんだから、休憩室で泣かないようにUHA味覚糖・コグミを口に放り込み続けた。でも怖すぎて泣いた。
そこからは仕事終わりにまっすぐ病院に会いに行って、帰宅したら親父が落ち込みまくるプレ葬式のような日々。まじ生前葬。まだ検査も終わってないのにひどい落ち込みように、頭の中で東京ホテイソンのあいつが「いや余命宣告の落ち込みぃ!」と叫ぶ。私は心配はもちろん心配だけどまだ何もわかっていないうちから落ち込む必要はないと思っていたし、何より母がめちゃくちゃ元気なので普通でいるよう努めていた。こんなにお菓子を食いまくって太り続ける癌患者なんていない、と母と合言葉のようにずっと言っていた。
なのに、なぜ親父ばかりが先走ってしめやかに営み始めていたかと言うと、これまじムカつくんだけど、医者が親父だけにCTだかMRIだかの画像を見ただけの段階で、「これは癌です。転移もあります。長くないです。」みたいなことを言っていたらしい。え、馬鹿じゃない?画像だけで悪性腫瘍だと言い切ることが許されるなら、内視鏡も何も必要ない。実際腫瘍はかなり大きく、それが癌だったら、消化器なので食事が摂れなくて痩せこけていくはず。それなのにめちゃくちゃ食べて体重が増え続ける人(ウケるね)を見てそんな断定するか?怖。何?一回落としてから上げるほうが嬉しくない?みたいなこと思ってる?それとも本気で私、失敗しないので。と思っとんか?ここ札幌のはずれのなーんもない病院やぞ。そんなドラマのような天才医師ごっこはカフェの一つでも入ってるクラスの病院になってからやってくれ。お母さん麻酔覚めるの待つ間暇すぎて死ぬかと思ったわ。もう病院変えたい。

そんなこんなで私もちょっとはお母さん死ぬのかなと思ったりもした。私はしばしば「人生誰かに仕組まれてる説」を唱えだすので、今まで編み物できても変なモチーフ編みしかできなかった私が急に棒針で帽子を編み上げることができたのは、お母さんが抗がん剤治療をすることになるからだったのか!?とか考えたり、竹原ピストルが急に歌番組に出てくるようになって「ミジンコくらいに小さくなってあなたを蝕むガン細胞をぶっ殺してやりたい」と歌い、そのFNS歌謡祭を病院帰りの車の中で親父と見ることになったりとか、完全仕組まれてるやん〜伏線敷かれてるやん〜になった。あと君の膵臓を食べたいをイジって遊んだバチだと思った。あー怖い。何でもこじつけられる自分の頭が。カルテットの時間軸ズレてる説に賛同しなかったのが不思議な程だ。

まあでも親父の落ち込みよう見て、親子の愛は無償の愛というように、私は無条件でお母さんはずっといて欲しいし、好きだけれど、親には私達子供がいるということを抜きにしても、他人が家族になるだけの条件をクリアして、協力しあって暮らしてきた無償じゃない愛があるんだと思ったね。私も今の彼氏と結婚したいから、こういう姿を見ておけて良かったかもしれないと思った。

とはいえ悪性じゃないですよとなっただけでまだ何も治せてはいないので来年からまた治療をしなければいけないし、安心とまではいかないけれど。弟も帰省して、ソファに寝っ転がって私の膝に足乗っけてガチ寝しだしたのを見て親が笑ったときは懐かしのアルコ&ピースオールナイトニッポンのコーナー「家族」のタイトルコールをする平子の声が聞こえた。

親子三代が叶わないのかと一瞬思ったけど、これから何年かは安泰だと信じて、三代目を、我が家のパフォーマーを増やしていかなければ。私が産まなければ。平成の次のやつ元年に産んでやるぜ。