草彅剛マジ尊敬


TWICEを筆頭とする何度目かのK-POPブーム、そして平昌オリンピックで何かと韓国が話題のこの2018年初頭。なんとなくその韓国の流れの中でふと気づく、あれ?ハングルって覚えたら読めるんじゃね…?と。もちろん、覚えれば読めますよ字って。そして無料アプリで勉強をしけっこう読めるようになった私がここにいます。

私はけっこう英語を頑張って勉強したのですが、言葉というのはコミュニケーションのために、意思の疎通のためにありますから、誰かと交わさなければ意味がありません。けっこう頑張ったのに意外に喋れないもんだな〜奨学金借りてんだぜこっちは。などと愚かなことを思っていたがそれもそのはず、使う相手がいないのだから座学以上の進展があるはずがないのだ。使う相手がいないなんて言い方もおこがましい。私はそもそも、日本人相手でさえバカ人見知りで話し相手など数人しかいないではないですか。

思えば、絶対留学して、カナダの片田舎の大学で出会った様々な人種の仲間達とファレルのHAPPYに乗せて踊りたい、みたいな人のテンションで自由参加のTOEICの講習とかも出ていたし自分でお金払って受けた。留学するまでの金も度胸も目標もないし、海外に憧れがないわけでは決してないが、札幌でふらふら生きられたらそれで良かったのに、なぜそこまでの熱意があったのか。私は意外と真面目で一度手をつけたことはけっこう頑張るんですよー負けず嫌いなところも少しありましてん。くらいのことだと思っていたが、一度手をつけたことはけっこう頑張るというには中途半端すぎるし、負けず嫌いと言うならこの状況は完全に負けだろ。お前は喋れてないんだよ。

その「なぜ」が今回の"ハングル読めるんじゃねの変"によってわかった気がするのですが、言葉わかったらおもしろいんじゃね。でしかない。本当にそれでしかない。あと言葉ってパズルみたいなところがありますよね。パズルゲームとしてかなり楽しいんですよね言葉の勉強って。ハングルなんか特に見た目もパズルっぽいし、私が手を出した学習アプリの出題形式が完全にパズル寄りのクイズなので、キャンディーソーダに飽きてきた乗り換え先感が否めない。そして今回も今までのように、韓国語で会話をしたい相手がいるわけもなく、パズル感覚ではもう済まされない、完全に言葉として声として自分のものにしなければ進展はない、という段になったらやめざるを得なくなるのが目に見えている。私は会いに行きたいオッパがいるわけでも、第二のTWICEになるべく韓国のアイドル事務所の練習生になりたいわけでもない。

ハングルがどうとか言って一文字も出てこないですよ。だってまだ書けるとは言ってない。

でもさー。何か勉強したいという気持ちだけでも汲んで欲しいじゃないですか。とにかく私はどんなに仕事で売上を作れる人よりもいろんなことに詳しい、勉強が好きな大人に憧れているんだ。ペラペラまでいかなくても"わかる"ものが欲しい。大した役にも立たなくても何かを知ってる人に。でもそういうのも結局、インターネットに向かってるだけじゃだめなんだよね、人に会っていかないと…人を通して見聞を広めていかなきゃだね…そだねー…そだねーJAPANって何だよではなくそだねーJAPANでいいねと思えるような柔軟で大きな人間に…実際斬新だよね、そだねーJAPAN。長くなりました、さようなら。